
昨日、葬儀のあった長野から帰ってきた。妻は木曜日まで実家にいる。息子より少し早く起きて、冷蔵庫に残されていたピーマンとねぎとソーセージのスープ、最後に卵を落として。冷凍の丸いパンをトースター、焼いてから10分そのままにすると袋に書いてあったのでそうする。ヨーグルトに義母からもらってきたリンゴ、たくさん貰ってくる予定だったが、葬儀で集まったみんなで殆ど食べてしまった。小さく賽の目切りにして入れる。7時50分。息子は学校へ。食器を洗って、掃除機をかけて、ゴミ出し。9時から行友くんと月一の定例。残タスクの確認。頭の中にあるイメージを伝えて、雑談。
昼食に出たのは12時前。しばらく間、一週間くらいか、間が空いたので、いつもの町中華に向かうが自動ドアの向こうが満席。少し戻って、これもいつものベトナム料理屋、ここはいつも空いている。ほら。よくいる女性の店員に挨拶するが、いつもの窓際、2人掛けのテーブルに先客。手前のソファーに据えられたテーブルに座った。最近は「海鮮とフォー炒め」が気に入って、2、3回ほど繰り返し注文している。2回目以降は大盛り。今日もそうしようと思ったが、繰り返し過ぎか、少しずらそう。「牛肉とフォー炒め」。海鮮のイカがコロコロと、箸で掴みづらく最後残るのが少し気にはなっていた。
日曜日が納棺、月曜日が火葬だった。どちらも地元の農協が手配しているらしい。納棺は自宅で夕方頃行われて、夕食も農協が手配したものが用意された。別に美味しいものではない、美味しいものを食べるタイミングでもないし。主食はいなり寿司と太巻きと細巻き3種(かっぱ、たくわん、やまごぼう)。親戚の子が親戚のおばさんにおばさんのいなり寿司は特別に美味しい、いくらでも食べれると話している。
そして、月曜日は火葬場に併設された施設の会議室に昼食として弁当が用意されていた。いなり寿司と太巻きと細巻き3種(かっぱ、たくわん、やまごぼう)。お坊さんは別室で全く違う料理を食べている、と義母。喪主でもある。
そう、ただただ甘いだけのいなり寿司を2回も続けて食べたことを思い出した。牛肉とフォー炒めも大盛りにしたのだが、前のときよりも多い。小皿を1つ一緒にもってきてくれたが、取り分ける相手もいない。大皿から直接食べるのは品がないのか。汚す前にそっとテーブルの奥。一緒に炒められたミニトマト、酸味がいい。村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』を持っていない方の手で胡椒を取り、ライター、ジッポのように片手で蓋をあけた。粗挽きの胡椒を振り、蓋をカチンと閉じ、他のテーブルからも同じ音が聞こえた。